その3 会津の漆の木

漆木
室町時代に漆の植樹が奨励され漆器産業が根づいてから、会津では最盛期には数十万本の漆木が育て漆液の生産が行われていた、しかし庶民の生活から漆器が遠のくのと同じくして、昭和の終りに差し掛かる頃にはそのほとんどがなくなってしまった。

漆の実
現在会津では“NPO法人はるなか”の漆部会により漆木の栽培が行われている。
“はるなか”とは江戸時代、会津藩家老の田中玄宰(はるなか)に由来しており、会津で漆木の栽培を奨励し京都の蒔絵師を招き職人に学ばせるなど漆器産業やその他会津木綿や本郷焼き、地酒造りなど会津に今根づいている産業の発展に尽力した人物だ。

黒光りする漆液
漆木は漆液が採取出来るようになるまで約15年の歳月を必要とし、採取出来るのは漆木の一生に一度きり、その量はわずか200mg程度、器にして約10個から15個、漆液の採取には多くの漆木と時間と手間が必要となる。
しかし漆の丈夫さはその歴史が証明している、漆木はその表面を傷つけられるとその傷を保護する為に漆液をだす、漆液は一度固まるととても堅牢なコーティング剤となり、それはアルコールや強い酸に漬けても変化する事がないほどに強く、そうして約15年の年月をかけて採取された漆液によって加工された漆器はその何倍もの年月を生きることが出来るようになるのだ。

会津絵ろうそく
また漆木は会津に別の伝統工芸を生み出すこととなった。
漆木には雌と雄があり雌の木には実がなる、その実は蝋分というろうそくの原料を含みその実を利用して絵ろうそくが盛んに作られた。
漆器産業の発展と共に、会津絵ろうそくはその絵柄の美しさも相まって広く知られるようになった。
その昔、漆木は漆器と絵ろうそくと会津の産業の発展に大きな役割を果たしていたのだ。