会津酒造

introduction

深い山に抱かれた酒どころ南会津において会津酒造は一番古くから地元の人々に呑み親しまれてきた酒蔵だ。深い山は清らかな水と豊かな米を生み、長きに渡る歴史が人を鍛え美酒を生み出し続けた。今、会津酒造に新しい息吹が舞い込んでいる、若者達による酒造り。そこにかける想いを伺いました。

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その1 若きリーダーが醸す地酒“会津・凛”

凛

会津酒造は南会津で一番古くから日本酒を醸し続け地元の人々に親しまれている酒蔵だが蔵に入り最初に目に付いたのは蔵人たちの若さだった、古くから続く酒蔵の日本酒は若者達によって造り出されていた。


IMG_4405「一番テンションが上がっている時は、造りの始まる前ですね。今年はどんな酒を造ろうかと考えている時です」そう言って彼は愛嬌のある笑顔を作った。
お話をうかがったのは専務・渡部景大さん、30歳で経営と造り両方の指揮を執る若きリーダー、大きな身体に愛嬌のある表情どこかほっとしてしまうその雰囲気には、ふるさと南会津の人々に愛され育ったのだなと感じさせるものがある。


IMG_4409南会津の人々は古くから会津酒造の日本酒“会津”を呑み親しんできた、創業から現在までの間、会津には多くの酒蔵が生まれ日本でも有数の激戦区となり、日本酒激戦区という環境は酒蔵の技術を育て飲み手の舌をも育て上げた。
その歴史は会津酒造が作り出す地酒の品質を常に地元の人々に愛される日本酒として保ち続けてきた。
「ここ(南会津)の人たちは本当、日本酒に厳しいです少しでも品質が落ちるとすぐにどうしたんだと厳しい声がかかります」南会津で古くから培われてきた環境は今も厳しくも愛情を持って会津酒造の蔵人たちを育てている。


IMG_4389そんな激戦区でもある実家の酒蔵に戻った彼が最初に取り掛かったのは、全てを数値化することだった。戻ってから3年ほど杜氏の下で学びながらその全てを数値化し始め、杜氏の長年に渡る経験から培われた感覚の中で造られてきた日本酒がデータとしてその姿を見せ始めた、そうした明確な数値の中に生まれる些細な誤差が酒質に良くも悪くも違いを生み、些細な誤差もデータとなり明確な改善点となっていった。
また品質を最良の状態で保つために蔵の改装にも取り掛かった、自然界にいる菌を活かした発酵の技術で作られてきた日本酒だが、全てが日本酒にとって必要な菌ではない、衛生管理と温度管理が酒質を最良に保つために重要となってくる、日々の蔵の清掃も徹底するようになり、そうした変化は蔵の造りに対する姿勢を変えていった。


IMG_4410“会津・凛”は地酒として地元の人々に親しまれてきた“会津”シリーズを元に開発された日本酒だ。先代が地元産の米と蔵に湧き出る水を元に企画した商品だが、杜氏が造っていた凛を数値で見て、そこから彼が調整を加えて酒質を高め、きめ細やかな温度管理のもと、冬には絞りたて原酒のフレッシュな味わいを、春・夏には一回火入れの原酒の熟成された味わいを、秋には十分に熟成されたひやおろしをと、季節の移り変わりとともにその年のその季節に最良の状態で飲み手に届けられる美酒となった。


長く勤めた杜氏が去ってなお、彼の造り出す会津酒造の酒は、時折厳しい声をもらえども南会津の人々に変わらずに呑み親しまれている。

投稿者: cool会津編集長