その2 会津漆器のはじまり
会津漆器の始まりは室町時代にさかのぼり、当時会津を治めていた葦名氏が漆木の植樹を奨励した事に始まる。
漆器が産業として根づいたのは安土桃山時代、会津の領主蒲生氏郷公が前の領地であった日野(滋賀県)から木地師や塗師を呼び寄せ会津漆器の基礎を作り、それから幾度となく技術革新を重ね、会津は日本有数の一大漆器産地となった。
江戸時代には各藩の産業奨励もあり各地で漆器の産地が形成されるようになり、そうして庶民の生活の中にも漆器が日用品として普及することなる。
当時の人々は一人一つの箱膳を持ち、箱膳の中には漆加工された飯碗・汁椀・小皿・箸・湯呑み・茶碗・布巾の一式を収納し各々がそれらを使い食事をするのが主流であった、そのようにして漆器は庶民の生活の中にあった。
また日本の漆器は海外でも広く好まれ貿易も盛んに行われるようになり、明治時代には各地で特色のある漆器が産業としてさらなる発展と遂げ、職人の生活にも余裕ができるようになり彼らはより良いものを作ろうと腕を磨き芸術性の高い漆器が作られるようになった。
そうして海外での人気を博し芸術性を帯びるようになる中で、江戸時代日用品として庶民の生活の中にあった漆器は、より安価な陶磁器や合成樹皮製品が広まったこともあり庶民の生活から遠のいていくこととなってしまった。
鈴武のある場所は昭和18年に漆器工業団地として栄えた町でもある、その地も現在は漆器店としては鈴武のみが残り、庶民の生活から漆器が遠のくのと同じくして多くの漆器店が会津からも姿を消すこととなった。