檜枝岐歌舞伎

introduction

南会津はさらにおく深い山間に檜枝岐村はある、その奥深い地形から独特の伝統を保ち続けてきた。この地に江戸時代から伝わる農村歌舞伎がある、約270年前に購入した浄瑠璃本が残ることからそれ以上の歴史を有すると言われ、舞台は鎮守神の境内に神社に向け拝殿のような形態をとり建てられ、神への奉納と村人の娯楽として受け継がれてきた。深い山に閉ざされた檜枝岐村、闇夜に包まれるとき歌舞伎と共に生きる村の姿が露にある。

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その1 檜枝岐歌舞伎の始まり

hinoe_1-1檜枝岐村の東雲館では8月18日の「鎮守神祭礼奉納歌舞伎」に向け稽古が行なわれていた。演ずるは千葉之家花駒座、村に残る落人伝説から「星家」の出身地といわれる千葉県と尾瀬の会津駒ヶ岳がその名の由来、一座は血の繋がりではなく演ずるのが好きな者達が集まり、舞台で使う小道具も衣装も全て自ら修理を施し山奥の村でひっそりと受け継がれてきた。
稽古は隣町から太夫を迎え、舞台脇で座長がツケ打ちや太鼓を担い、舞台下中心で副座長が見守るなか稽古は進む。舞台上、普段着での稽古だったが不思議と見入ってしまうものがあった、それでも座長は「役者に不安が見て取れる、まだまだだね」と笑って見せた。


hinoe_1-2江戸時代に一生に一度だけでもとお伊勢参りは庶民の憧れ、南会津はさらに山奥檜枝岐村からは1ヶ月以上もかかる長旅、数名連れ立ち伊勢へと向い、若者も伴っての旅の途中に何か楽しみがあった方が良かろうと、江戸で歌舞伎を観たのが檜枝岐歌舞伎の始まり。江戸の歌舞伎にいたく感激した彼らは浄瑠璃本を買い求め村へと持ち帰る、初めは皆でまわし読み楽しんでいたのだろう、現存する浄瑠璃本には村人達の署名が残る。それから村人達はお伊勢参りのたびに浄瑠璃本を村へ持ち帰ったという。


hinoe_1-3江戸から持ち帰ったのは浄瑠璃本と歌舞伎の世界への憧れそして仲間が感激する姿。村人達を楽しませようと演じるのが好きな者達が集まり見様見真似で歌舞伎を演じ始めた。
江戸の平安な時代に歌舞伎などの娯楽は人を堕落させると、また人が集まるところには政治的思想による扇動の危険性があると、幕府は歌舞伎などの公演に一定の規制を設け許可を必要とした。山奥の人口の少ない村に許可を得るための資金や力などあるはずもなく、そこで村人は歌舞伎を祭りの奉納儀式とすることとした、公演ではなく奉納のための歌舞伎であれば届出だけで済んだからだ。


hinoe_1-4檜枝岐歌舞伎は祭の奉納儀式として始まり、ついでとして村人はその舞台を楽しんできた。そうして檜枝岐歌舞伎は春の「愛宕神祭礼奉納歌舞伎」と夏の「鎮守神祭礼奉納歌舞伎」の年2回の舞台で受け継がれてきた。

投稿者: cool会津編集長