会津田島祇園祭

introduction

山々に囲まれひっそりと佇む南会津町。ここに日本三大祇園祭の一つ会津田島祇園祭がある。約800年の歴史を受け継ぎながらも人口が減ると共に祭りの規模は小さくなった、それでもこの祭りは地元の者によって毎年欠かさず行われている。地元の者にとって会津田島祇園祭とはどういう祭りなのかその魅力を探ります。

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その4 祈りの祭り 会津田島祇園祭

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日本の祭りは春夏秋冬に合わせて行われる。
春祭りは新しく芽吹く力にあふれた季節になり、厳しい冬を乗り越えた感謝とこれからの豊作を願う祭り、秋祭りは収穫を終えこれから厳しい冬の季節を迎える季節、豊作に感謝し無事に冬を乗り越えられるよう願う祭り、冬祭りは厳しい寒さに耐え春を待つ季節、魂の穢を落とし魂の充実させる祭りとなる。
そして夏祭りは、疫病がはやり台風や洪水などにも見舞われる季節、現代ほど生活環境の整ってなかった時代、夏は生きるのも命がけの季節だった、無事に乗り越えられるよう祈りを捧げるために夏祭りは行われた。祇園信仰は京都八坂神社に始まる信仰で、疫病を鎮める強い力を持つ疫病神として牛頭天王をまつり、消厄除災を祈願する信仰だ。

IMG_1742会津田島祇園祭は雪の降り積もる1月15日のお党屋お千度の儀式から始まる。
お党屋とは祭りを司る祭主である神主をさし、神主であるお党屋を地区ごとに支えるお党屋組によって運営されている、かつては23組あったお党屋組も現在は9組となった。
6月30日の身を清める大祓式、田出宇賀神社と熊野神社の間に立つ鳥居をくぐり、その先の拝殿で神事が行われる。鳥居から拝殿を前に左に田出宇賀神社、右に熊野神社、拝殿に入れば左に熊野神社の宮司、右には田出宇賀神社の宮司、祀る神が違うがこの祇園祭の時、2つの神社が協力しあい神事は執り行われる。

IMG_18347月7日のお党屋本陣のしめ縄張り、この日から祇園祭が終わるまで心身を清める潔斎の期間に入るため肉や玉を食さず、喪家への出入りを禁じられる。そして7月9日のお神酒造りとすべての神事が田出宇賀神社の宮司のもと、毎年同じ日程に同じ儀式が約半年をかけて祇園祭に向けて執り行われている。
祇園祭の日程もそうだが、神事が平日に当たろうとも、その日程が変更になる事はない、9年に1度お党屋の役目の1年、その組の者達が仕事を休んでその神事に関わる事がこの町では許されている。

IMG_174822日例大祭斎行から会津田島祇園祭が始まる。
前年・今年・来年のお党屋が集結し神事がとり行われる、浦安舞奉奏が披露されお神酒が振る舞われ幕を開ける。

祇園祭が終わるまでの全ての神事が地元の者によって受け継がれている。
毎年同じ日に同じ習いで行われる、それはその時々の口上こそ変われど何も変わらない。
それは親と子、今を生きる者と先祖と子孫を同じ記憶の風景でつなぎ、そこに生きる者・生きた者が皆通る道であり、それは生きた歴史となる。

IMG_1769神事であるこの祭りにふれれば、この地の者達は同じ風景を見た自分の親や先祖を思いそのルーツを実感するだろう、何年にも渡るこの地における血筋を感じこの地のへの特別な愛着をさらに増す、そしてその何代にも渡る想いは新たな子孫に受け継がれていく。
それはその伝統が血として受け継がれたその者達の一部だ。

【会津田島祇園祭】その5につづく

投稿者: cool会津編集長