その1 変化する伝統玩具
山深く一年中四季に彩られる自然の豊かな地、西会津に野沢民芸はある。
ここから会津の伝統玩具・張子の世界がさまざまな形で広がっている。
その昔会津には張子作りを営む会社が30社ほどあり、その工程の全てが内職なども含めて会津で作製されており、張子作りは会津では身近な産業だった。
しかし時代の流れとともに、ベトナム・中国産の安価な商品に市場は奪われ、現在では野沢民芸店を含め3社ほどとなった。
野沢民芸・理事伊藤さんは初めから張子作りの会社に就職したのでも、親から張子作りを引き継いだわけでもなく、若かりし頃は建築関係・電気関係の仕事に携わり、55年前にこけし作りを始めそれから張子作りへとシフトした。
昔ながらの張子作りは手間が掛かり、その割に商品は安価であり経営は非常に苦しいものだった、そんな状況を打開するため昭和40年頃にはイタリアから機械を導入し作業の合理化をすすめ量産体制を整えることとなった。
量産体制を整えたとはいえ、量産が可能なのは絵付けする前の素材の量産が可能になったのみ、現在でもその後の工程、糊付け、泥付け、絵付けなどは全て手作業で仕上げている。

伊藤さん
伊藤さんは今でも現場に携わっている、干支張子のデザインは毎年彼によるもので、最初の型作り(原型)は木彫で作られる。張子作りを始める前、こけし作りの技量が生きる。
作業場の至るところには彼が考案した効率化を図る様々な道具がある。
彼の経験の全てがこの野沢民芸に生きづいている。
「張子作りを始める前に携わった仕事全てが今に生きているよ、無駄はないね」
そう話す彼の語り口は闊達であり、確かな自信に満ちている。
今伊藤さんが求めているのはデザインだ、「私らには技術があります」言葉に精悍さが伴う。
しかし確かな技術があってもデザインが良くなければ手にしてはもらえない。
ここ野沢民芸で作られる郷土玩具は元来のもとと少し違う、“小法師” は基本的な赤と青以外にもカラフルな黄、緑、黒、松柄、梅柄、竹柄と様々な姿をしている。
“赤べこ”も赤以外に金に翡翠とカラフルに愛らしい表情で首を振っている。
「昔からのデザインや作り方を頑なに守りつづけるだけが伝統を守るという事ではないんじゃないの?私はデザインが変わってもその意味合いが受け継がれれば良いと思うよ」
御年80歳、55年間張子を作り続け、張子文化を守り続けた伊藤さんは留まるところを知らない。
今も変化を求め、新しい張子作りへの気概にあふれている。
野沢民芸で生まれる張子はこれからも変化していく、しかし、その張子たちに宿された精神は昔から変わらずに持つものを勇気づけ楽しませるだろう。