その4 鎮守神祭礼奉納歌舞伎
数年前までテープに録音された義太夫で演じられてきた檜枝岐歌舞伎、当然のことだが録音された義太夫では間合いなどに自由がきかず、生の義太夫に比べその演技に難しいものがあった。
太夫の台本、その語りの脇には役者の動きが細かく書き込まれている、太夫の役目は役者を一番に引き立てることと、役者が台詞を忘れた時には義太夫らしい語りかけでそれとなく教えるなど、その日の役者の状態を見ながら太夫は語り役者と呼吸を合わせ歌舞伎は作られる。
全国に現存する農村歌舞伎には古く受け継がれたその土地の色がある、その存続が危ぶまれる一座の多くは他所から講師を招き教えを請う中で、土地の特色が消え画一的なものとなってしまっているという、だが講師を招くこともなく村人が代受け継いできた檜枝岐歌舞伎は土地の色が濃いと、この土地の色を思い台本通りにだけではなく変化を加え語るのは面白いと太夫は話した。檜枝岐で生の義太夫と役者の呼吸が生み出す舞台、同じ物語を追っても他の土地には生まれないその日その場限りの歌舞伎が生まれる。
8月18日「鎮守神祭礼奉納歌舞伎」
夜の帳が降りる頃、舞台では清めの舞いと共に歌舞伎の世界への帳が開かれた。
山の木々や獣や虫たちの声は遠く静まりかえり、照明に照らされた舞台の上、軽やかなリズムに合わせ衣装を揺らめかせ舞台清めの舞「寿式三番叟」が始まった。今流行のダンスのような派手さもカッコよさも無い、だがそこには息を呑む格好良さ、動きだけではなく役者がその目でも作り上げる、静寂ある一種独特な世界の美しさがあった。
清められた舞台の上、静まる山に役者と太夫の声が響き渡り物語は独特の雰囲気を持って山場へと、今では聞くことのない言葉、知るはずもない時代の物語、なぜに不思議と物語が分かり泣けてしまうは開かれた帳の向こう側の世界へと入り込んでしまった証拠だろう。
約2時間の檜枝岐歌舞伎の世界それは瞬く間に終わりを迎えた。