檜枝岐歌舞伎

introduction

南会津はさらにおく深い山間に檜枝岐村はある、その奥深い地形から独特の伝統を保ち続けてきた。この地に江戸時代から伝わる農村歌舞伎がある、約270年前に購入した浄瑠璃本が残ることからそれ以上の歴史を有すると言われ、舞台は鎮守神の境内に神社に向け拝殿のような形態をとり建てられ、神への奉納と村人の娯楽として受け継がれてきた。深い山に閉ざされた檜枝岐村、闇夜に包まれるとき歌舞伎と共に生きる村の姿が露にある。

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その5 歌舞伎にみる檜枝岐の姿

学校で歌舞伎を練習している子ども達はいずれ村を出る、そんな子ども達がまたいつか檜枝岐へ戻り歌舞伎を思い出し受け継いでくれた嬉しいと座長は話す。現在まで幾度となく村から歌舞伎が消えようとしその度に「寂しい」との気持ちが村人を動かしていきた、今の歌舞伎役者たちも同じ「寂しい」気持ちを持って受け継いでいる。


檜枝岐歌舞伎について、古語で語られるその台詞の意味が完全には分からなかったが確かに物語が分かり泣けてしまったのだと、そんな話をすると座長の目は澄んだ輝きを見せ、言葉ではなく目で喜びを伝えた、それはとても控えめな表現だったがこちらまでも嬉しくなるような喜び方だった。
歌舞伎が無くなることも、昔村人たちが楽しんでいた頃の歌舞伎の姿を見られなくなったことへの寂しさも控えめに、そして喜びもまた控えめに、だがそこには確かに伝わる強い思いが感じられた。


檜枝岐に訪れた遅めの緩やかな時代の変化、その中でこの地に残った豊かな自然と歌舞伎。
落人伝説が真実ならば自然が生む厳しさも必要としただろう、そして時代が移り変わりその厳しさを必要としなくなっても排除しようとはせず自然が生み出す厳しさも恵みも全て受けとめ共に生きてきた。テレビや映画などの娯楽が入ってきても歌舞伎をやめてしまおうとはしなかった。
「寂しい」と控えめに彼らは話す、厳しさと共に残した豊かな自然と歌舞伎にはこの地の逃れ辿り着いた時からのこの地の人々の生き方がある。


あの時江戸の歌舞伎に見た歌舞伎の世界への憧れ、そして共に生きる者が喜ぶ姿、歌舞伎が終わると共に耳に戻る山に生きるものの声、そして肌に感じる彼らの香り。
檜枝岐の舞台には歌舞伎を始めた頃を変わらぬ想いとこの地で暮らした人々の生き方が宿っている。

投稿者: cool会津編集長