檜枝岐歌舞伎

introduction

南会津はさらにおく深い山間に檜枝岐村はある、その奥深い地形から独特の伝統を保ち続けてきた。この地に江戸時代から伝わる農村歌舞伎がある、約270年前に購入した浄瑠璃本が残ることからそれ以上の歴史を有すると言われ、舞台は鎮守神の境内に神社に向け拝殿のような形態をとり建てられ、神への奉納と村人の娯楽として受け継がれてきた。深い山に閉ざされた檜枝岐村、闇夜に包まれるとき歌舞伎と共に生きる村の姿が露にある。

投稿日: 発行日:更新日:カテゴリー 伝統タグ

その3 座長の少し寂しい気持ち

集めた浄瑠璃本、30演目もあったが今残るは11演目に、時代物の義太夫狂言が派手で見栄えがすると人気を集めた。義太夫を語れるもいなくなり昭和20年に録音されたテープで舞台を続けてきたが、最近では会津田島祇園祭屋台歌舞伎の一座に太夫が育ちその協力を得て生の義太夫で上演できるようになった。そして檜枝岐歌舞伎はメディアに取り上げられるなどもあり公演は年4回に増え、村以外の地から毎回1200名ほどの観覧客が来てくれるようにもなった。
しかし座長は沢山の方々が村に来て下さるのはとても嬉しいことだと話ながら「少し寂しい気持ちです」と話した。


昔祭りの日、それは日々農作業などに忙しい村人全員が仕事を休み、なかなか会えない村人とも久しぶりに会える大切な日だった。
村の平安と豊穣を願う祭り、今よりも信仰心も強かったのだろう。
祭りの当日村には、早朝に鎮守神へ参拝し「神様がご覧になられるついでに歌舞伎を楽しませて頂きます」と話し、久しぶりに会う友との会話に花を咲かせる村人の姿があった。
そして家族や親戚や友などが親しい者が役者として立つ舞台には自由な掛け声が飛び交い、活気ある歌舞伎の舞台が生まれたという。


今公演の日、村人は他所から来るお客様へのおもてなしに忙しく昔のように皆で歌舞伎を観る日ではなくなった。鎮守神にお参りする村人、再会を喜ぶ村人、自由な掛け声の飛び交う歌舞伎の姿も無くなってしまった。


だが今年の6月、座長の「少し寂しい気持ち」は村民限定の歌舞の伎舞台となった。村の中学生は授業で舞台清めの舞「寿式三番叟」を受け継いでいる。舞台は学生が「寿式三番叟」を披露するため昼間に行なわれ、今村に暮らす者そして村を出た者約250人が集まった。

お伊勢参りの度に村人が買いその日檜枝岐の舞台には久しぶりに村に戻り顔を合わせ喜ぶ村人の姿と自由な掛け声が飛び交う活気ある歌舞伎の姿があった。
そして座長は20年ほど前に嫁いできたお嫁さんは初めて歌舞伎を観て楽しんでくれたのだと目尻に優しい皺を寄せた。

投稿者: cool会津編集長