その3 器の力
「器の力」と彼は言う。
それが理解できず再度訪ねると、彼は別の言葉でその答えを示そうとした。この時まで彼は私への答えを考え続けていてくれたのだろうか。
器の力が掴みきれずにいる中、彼はなぜ自分を訪ねたのかと聞く、その質問への答えは二通りどちらを答えるべきか質問の意図を思案し、無難に宗像窯の鰊鉢や登り窯、生掛けという作りの特長を答えると「そうですね」とあっさりとした反応が返ってきた。
間違えたと思った、登り窯、生掛け、鰊鉢どれも間違いではないが、彼の話す本質を求める声がその答えの中にはなかった。
言葉に詰まるとやはり彼の持つ穏やかな静けさがそこにはあった。不思議と全てを話してしまえば良いという心持になり、その答えはそれまで経験したことに及び、会津で数々の職人と知り合う中で感じたことや今感じ考えていることまで自分の心内を全て話すに至った、そして最後「宗像窯や本郷焼について知ってもらうのに、ただ宗像さんの焼き物の美しさや登り窯の事だけを伝えるのではダメだと思うのです。宗像さんを伝えないと意味がないと、あなたが知りたいのです」と言うと彼は静かに笑顔で言った「それですよ」と。
「あなたがこうして来てくれたから、こうしてお話しすることが出来、縁が出来ましたね」とにこやかに笑った、彼は何度もこの取材を通して私と出会えたことを喜ばしいことだと言った。
「強い力を持つ器は人をも引き寄せる」彼はどんな些細な出会いであっても、その出会いから得るものを全て作品へと昇華させていったのだろう。
「器に本質を込める」それには器の本質を見極めようと詳しく観る眼、審美眼が必要だと言う、彼の視線は些細な出会いにまで行き渡る。
「本質」それは作りの技術を磨くだけでは足りず他の世界への深い探究が必要となる、それは茶や料理などの世界のあり方だけではなく、それを作りだす者たちや楽しみ愛でる者たちへ。出会いの中でその者たちの心を詳しく観ようとする心が審美眼を磨くのかもしれない。