宗像窯

introduction

夜も完全に明けやらぬ頃、本郷瀬戸町通りには人が溢れ出す、8月の第1日曜日は本郷せと市だ、お城のあるところには窯元が栄えるとお城の瓦を焼いたのが本郷焼の始まり。郷土料理の鰊の山椒漬けは海が遠く山に囲まれた会津の貴重なタンパク源、そのために宗像窯の“にしん鉢”は生まれ、それはベルギーブリュッセル万国博覧会で最高賞を受賞することとなる。風土が宿る器から器が見せる世界への第一歩が宗像窯から始まった。

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その2 宗像利浩が器にみるもの

②-2「不思議とね、天明・天保の大飢饉のような食べる物も無い厳しい時代に付加価値創造が行われ、銘品とよばれるものが生まれるんですよ。高度経済成長期を経て豊かな時代は使い捨てが当たり前になり、多少高価なものを大切に使い、欠けても漆等で修理し使い続けるということが少なくなります。厳しくなって初めて付加価値創造は生まれるのです」


②-1厳しい時代にあって、陶芸家が追い込まれていく中でそれまで以上に作りにその身を投じるからなのか。侘しい生活の中で長く大切に使い込み、呼吸し水を吸い込み変わりゆく陶器の姿に人は美しさや器を育てる喜びを見出そうとするからなのか。
厳しいく侘しい時代を経て作り手と使い手の心が銘品を生み出すのかもしれない。


②-3昔、作った茶碗の中で一番良いと思うものを手元に残し三番目ぐらいに良いと思うものを売った、数年経った頃にそれを見せてもらったところ、自分の手元に残したものなど問題にならないほどに優れたものになっていたのだと。彼は色形の見た目ではなく、その中にある本質を見極める大切さを知ったという。


「陶芸を辞めてしまおうかと思ったこともありましたね。もう一歩がね踏み出せないんですよ、この先は明日にしようなんて逃げてしまってね」なんて彼は軽やかに話す。
そんな月日が10年ほど過ぎ、追い込まれたのか追い詰めたのか彼は窮地で一歩を踏み出した。そして自身の名から一字を取り命名した代表作「利鉢」が生まれ、それは日本陶芸展で準大賞を受賞することとなる。その後も「柿のへた茶碗」など彼の挑戦は続く。

投稿者: cool会津編集長